各界でご活躍されている方の、志・情熱などが盛り込まれているページです。
あなたが働く、そして、人生で役立つヒント満載のページです。
順次、輝く方をご紹介していきますので、お楽しみに。
あなたの人生が輝きますように。。。願いを込めて。 Office Gift for you
クリスマスの装飾に彩られた有名百貨店の各店舗を
眺めながら、伺ったのは、
クリスマスといえば「ケーキ」というように
人を笑顔にするスイーツを生み出す凄腕のシェフ
(神戸マイスターにも認定されている)のお店へ
今回の登場は、日本一に輝いたことのあるパティシィエであり、経営者である佐野氏である。
これまで、何度も美味しいスイーツを味わわせていただいている。
ある時は、さくらんぼのジャムが美味しいクッキーであったり、
ある時は、口どけまろやかなチョコレートのお菓子であったり、
集いの場に持ってきてくださり、ご馳走してくださる。素材の味が口中に優しく広がるお菓子である。
人々の心を魅了するお菓子にどのような思いを寄せているのかお聞きした。
人と人とが仲良くなっていく時に使われるのがお菓子
お菓子作りで一番大切なこととして「食べて、ふーっつと、幸せになってもらう。仲良くなってもらう。
その様に語る佐野氏は、もともと酪農家を目指していたという。 18歳で北海道の酪農家に修業に出て、2ヶ所の酪農家にお世話になりながら足掛け二年、故郷はなれた北の大地でがんばったそうだ。
が、ある日、原乳の上に浮かんでいる生クリームを食べた時、「これでケーキを作ったら美味しいだろうな」と、原乳の味を知ったのがきっかけで酪農家ではなくお菓子の世界に飛び込もうと思ったそうだ。
そして、東京のお菓子の学校に通って、修業を積んでいったという。
日本一に輝く
東京現代洋菓子作品展(現 ジャパンケーキ賞)でチョコレートで作ったデコレーションが優勝に輝いた。
日本一に輝くには、それなりの理由があるはず。若干28歳でコンテストに輝いたのだから何がそれを可能にしたのか、聞いてみた。
まず、どんな思いで望んでいたのか?
「夢があった。燃えていた。そして、人を感動させたろ!お菓子で感動させたろ!」という情熱が何よりの原動力だったそうだ。
さらに、そのような技術を自分のものにしたからには、何らかの努力の跡があるはず。すかさず、聞いてみた。
「人より進んでいた。」と、語る佐野氏。家がもともと和菓子屋でそのお手伝いを子供の頃よりしており、なんでも興味がある子供だったと語る。中学時代は美術部に身をおき、学校の作品で金賞を受賞するなど作る作品はインパクトがあり、人と視点が変わっていたことが自由な発想に繋がり、自分の才能に磨きをかけていた様である。東京のお菓子の学校に通っていた時には、とにかく働いたという。
学校の後には24時まで仕込みのアルバイトに、土日も費やしたという。さらに詳しく聞いていくと。学校で教えてもらっている先生の仕事も授業の合間に手伝ったという。
みんなが遊ぶ中、人が10年かかるところを5年で修了してやる!!という思いを抱き、人の半分の修業でその先に行けるはずだと思ったそうだ。
そして、自分の凄腕を一流にしたいと、優勝に輝いた後独立して新たなチャレンジを選んだという。
経営者としての試練
自然あふれる中で従業員との触れあいを大切にしながら、体を張って従業員の育成をしている佐野氏。時に、壁など目の前に立ちはだかることもあるだろうかと聞いてみた。
「壁とは思わない。階段だと思っている。自分がスーパーマリオ(ゲームのキャラクター)みたいになることで、壁は階段になる。自分が成長する為に、見方と違う人や異質な人とつきあったりしている。」
経営者として、いろいろな人と関わる中苦しんだこともあったという。人と人とがぶつかり合うこともどの業界でもあることではあるが、ある時危機的な状況に陥ったこともあったという。
悔しさ、刹那さ、自分の心にある自分の本当の気持ちと向き合い、何日も考え続け、明け方まで自分の心と向き合い、導き出したのは
「自分の心を変えていくこと」
そんな時の突破口として、「苦手な人を、片思いのように愛する」という考えを持ったそうだ。
Gift for youでも、現状を変えていくのに一番近道なのは自分自身をどう変化させていくか。と、お伝えしているので、根幹の部分の思いは同じことを発見し、さらに親しみがわいたのはいうまでもない。
レーブドゥシェフは2011年10月に30周年になった。この30年間で、佐野氏が育て上げ世の中に送り出したのはすでに30人にのぼるという。
独立心のある人を採用するという。理由は仕事に一生懸命だから。そうすると下が育っていく。
人の育成も多元的な視点から捉えられ、実践している佐野氏。
天然素材にこだわった作り方
今、お菓子の原材料表示を見るといろんな添加物が書かれているお菓子が出回ってはいるが、佐野氏のお菓子には、天然素材にこだわっているという点で、なにより消費者にとっての体に優しい素材であり、安心して味わえるのも魅力のひとつである。食べ物は私達の体を作る大切な要素だからこそ、このように私達の健康に貢献してもらっていることはなんと嬉しいことだろうか。
味わっていただくとわかっていただけるが、食べた後の口の中にいつまでも残ることなくすーっとわからないように存在を消していってくれる。
天然素材にこだわることが時として、税理士の先生にお叱りを受けることもあるという。
良い素材で作るには、それなりの原材料費がかかってしまうのである。しかし、私達に届けてくれるお菓子が美味しくて、体にも優しいものであることへのこだわり持ってくださっているのことは、消費者としては何よりありがたいことである。
今年に入って一番の寒さ、いよいよ冬も本格的な寒さに入ったと実感した午後、高層タワーの大阪の街並みを優雅に見渡せる場所へと向かった。高速道路の間にビルが立ち並ぶ、たしか、鉄腕アトムの中で描かれていた世界を見渡せるような場所。
今回の登場は、経営の神様といわれた松下幸之助氏との想い出を持つ、田中宰氏である。
まず、ご自宅に伺うと、田中氏が自ら迎えてくださった。温かな笑顔で。
「冷蔵庫や洗濯機といった家電製品を全ての家庭に届けたい」
大学卒業後、松下電器産業(現 パナソニック)に入社し、研修期間を終えて配属先が発表された。
商業高校出身ということもあり、簿記などの知識などがあったことと、父親がいなかったこと、長男ということで田中氏は本社経理部の配属が決まったそうだ。家庭環境などを考えての配属である。
ところが、田中氏なんと再三に渡って、配属先を変更して欲しいと人事部の門をたたいたという。
何の為に・・・そう、「全国に、全ての家庭に、家電製品を届けたい」という夢を実現するために。
田中氏は、「営業職でなければその夢は実現できない」そう考え、その夢を実現する為に入社早々にも関わらず田中氏は人事部に訴え続けたそうだ。すごい、行動力!!
何が上手くいった秘訣なのかと聞いてみた。「ただただ、賢明に訴えた」と、当時を振り返る。
なるほど、その一生懸命さが伝わったのだ。
夢を持った人の思いは、とても強くて周りの人をも動かす。そう、情熱は人を動かす。
なりたい自分になる為に。
優秀な営業マンになってお返しをしようと心に決めたらしい。
松下幸之助氏との想い出
そして配属されたのが、山陰の小さな出張所だったという。その小さな出張所であったおかげで、入社2年目の23歳の時、創業者の松下幸之助氏と二日間同行するという貴重な機会を得たという。
そして、その機会は田中氏にとって人生で忘れられない想い出であると語ってくださった。
松下幸之助氏の人に対する「思いやりの心」を間近で見せていただいたと語る、田中氏。
その真髄を学んだのは、幸之助氏の人を大切にする姿からだったという。
前夜泊の旅館での一コマ、「松下さんのような工場が地元にあれば、息子と離れずに暮らせましたのに・・・」という仲居頭さんの一言に、幸之助氏が決断し動いたというお話もしてくださった。
会社(松下電器)の利益も大事だけれども、地方の生成発展はそれ以上に大事なこと。生産性は決して良くないが地方に工場を作ることは、それ以上に意義のあること。全国展開のきっかけとなったのは、どうやら家族との幸せを願う仲居頭さんの一言だったそうだ。
田中氏は、「会社の利害を超えた松下幸之助という人間があった。」と語る。
経営の道は、人の道「人間力」それが大事だと、その時感じたそうだ。
さらに田中氏と幸之助氏との想い出話は続く。
幸之助氏が大阪に戻る時、空港に幸之助氏を見送りにきた中に奥様方がおられた。
幸之助氏はご主人方に「今日は良かった。これからも、がんばろう!皆さんとは又会える。」と、一言残し、くるりと背を向け、奥様方に対して一人ひとり両手で握手して労をねぎらったそうだ。店を支える奥様方の存在、そんな奥様方に対して「心から感謝を表す」幸之助氏の思いを目の当たりにした田中氏。
その後田中氏が奥様方と再会した折に、幸之助氏とのあの握手は温かく、「手を洗わなかった」「顔を洗わなかった」など、その時味わった感動の思いを奥様方から伺ったそうだ。
「人間、幸之助の姿を見た。」と語る田中氏の人生に、このことは大きな影響を与えたという。
田中氏の哲学
そして、田中氏は30歳の若さで販売会社のトップとなり、47歳の時全社の人事部長に就任する。
その人事部長の時、全社員に発信したメッセージは「なりたい自分になる自分」であった。
「義務・責任だけではなく、仕事は自己実現だ。それが人生でなければならない。」と、
田中氏の哲学を熱く語ってくださった。
入社早々の時、営業に行きたいと人事部へ自らの思いを一生懸命伝えた22歳の時には、自分自身が全世界の人事部長になることなど予想すらつかなかった姿であろう。
なにか興味深い意味がそこに存在している気がする。
数々の功績を残した田中氏も、体験の中には良いこともそうでないこともあったと語ってくださった。
経営のトップ陣営として一番の危機に直面し、苦しい決断さえも経験してきている。
様々なことをお話くださる田中氏、素直さの一面を垣間見れた気がした。
田中氏もこの時、語ってくださったのだが「素直でなかったら、できなかった。」と。
「素直」・・・この言葉は、幸之助氏から教えてもらった忘れられない言葉だという。
「素直」・・・世の中の全てのものが上手くいく。・・・なるほど、奥が深い。
日本の高度成長と共に日本の発展に貢献してきた大企業も、さまざま成長曲線がある。
その中で田中氏も味わってきた数々の体験が、次へとつながる貴重な体験になっていることはまちがいないことだろう。その体験を味わった人だからこそ、次の世代に真の言葉を伝えられるものがある。
数々の体験をしてきたからこそ、次のステージ(阪神高速道路会社 CEO時代)で社員に伝え続けてきたようだ。そのメッセージは、数多くの社員にとって大切な学びになっていることだろう。
社員にとっては厳しい上司だったと語る表情の中に、社員達に真剣に語りかける氏の姿が目に浮かぶ。
「なりたい自分になる自分」このことは、Gift for youで提供しているメソッドの中心的なものでもあるため、とても共感する思いである。
「人生は一度きり、自分らしく生きる。」
そのためには、自分は何者になりたいのか、それを知り、実現していくプロセスを楽しんでいく。Gift for youがセミナーでお伝えしている根幹は、このようにして、いろいろな方と共通する同じメッセージであることを発見をする度に、私の確信への強さは強くなる。
インタビュー Office Gift for you
頬に当たる風が秋の深まりを感じさせ、
そして、帰り際、図書館を案内してくださった。通常学校の図書館といえば、